-----Hirokawa's Policy-----

 今回取り上げた「人工原子と光の相互作用」は、ナノテクノロジーの進歩により、理論の進展具合に比べ実験のほうが遥かに早いスピードで発展しているように思えます。だからこそ、現象論的になってしまいますが、この新しい技術分野をコントロールするために、モデリング手法を把握したいと思うのは、理論・実験・産業への応用に携る皆が共通に感じる事で今幾つかの国で研究が行われていますが、この世界に数理科学者が実際に飛び込み、初めは不慣れ故もがき苦しむでしょうが、そこから将来へ向けて何らかの種を掴もう、と言うのが今回のポリシーです。仁科芳雄先生から坂田昌一先生に受け継がれた自由な学風を尊び、一数学屋に物理学の手ほどきをして下さった梅沢博臣先生と江澤洋先生への感謝を込め、武谷三段階論に則り、「現象論的段階」、「実体論的段階」、「本質論的段階」へと進んで行きたいと思います。まずは最初の段階を数理科学で挑戦し、次の段階に踏み込めたとき応用が見えてくると思っています。



 数学を含めた数理科学とは、「役に立つとか役に立たない」といった概念から無縁の、『数理科学的真理』を追求する客観的なものだと思っています。従って、分野によっては実学から離れなければならない事もあると思います。私が日立製作所基礎研究所の研究員だった頃の経験から感じるのは、「役に立つとか役に立たない」と言った時点で「誰の何にとって役に立つのか?」という主観的価値観も加わり、「数理科学を応用する」と実学を意識した時は、「数理科学の応用対象分野のターゲットが何で、それに対して数理科学の何がどう使え、その効果が対象分野にどのような波及効果をもたらすのか」と、応用対象への影響をも想像し研究して行く、数理科学自身を研究するのとはまた別な能力が要求されると思います。

 「数理科学は科学・技術の基礎となり、数理科学の結果が産業に結び付く事が多々ある」と最近よく謳われますが、全くその通りだと思います。産業界の立場に立つと、数理科学は農業に似たところもある様に最近感じています。農産物は様々な製品の基礎を成す原料となります。その農産物を、営利団体である企業の目から見ると、農産物を原価の安い日本国外から仕入れたほうが有利になる場合が多々ある訳で、原料である農産物に注ぎ込んだ金額からどれだけの利潤が上がるかを企業人は考えなければなりません。しかし、農業には、単に製品の原料としての農産物を生産するという意義以外にも、「日本の食文化、さらにはそこから育まれた伝統文化の継続と発展を担う」意義もあります。数理科学も同じく、日本の科学・技術に役に立つと言うだけではなく、日本の学術としての科学の基盤を支える科学の文化を(後継者育成を含め)継続させるという意義も大きいでしょう。数理科学の持つこの両方の意義をうまくバランスを取りながら発展させるには、かなりの科学行政・マネージメントの能力が要求されるとは思います。最近、この難しさを痛感させるショッキングなニュースがありました。日本の基礎科学に大きく貢献していた岡山の企業、林原が経営破綻してしまいました。

 国際数理物理連合のIAMP News Bull, 2010年4月号p.8にも書きましたが、私が日立製作所基礎研究所()の研究員時代には、当時の浅井彰二郎所長(現在、(株)リガク取締役副社長)に「現場に足を運び、現場で何が必要とされ数理科学の何が使えるかを学び、現場と一緒になって考えろ」とよく言われました。「それを怠り机の上だけで理論を考えていると、『応用できる・できた』と主張する結果が独りよがりなものに終わりかねない。出来あがった最終結果は、本当に応用されたかを現場の人達に評価してもらえ」と良く尻を叩かれたものです。物理学会50周年を記念した物理学会誌第51巻5号(1996年)の『周辺からみた物理』に浅井氏が書かれたもの(p338)を読むと当時の経験が蘇ります。「応用できた」と言ってもらえる結果まで発展させるのは難しいという事を実際に経験して来ましたし、そこまでの労力を費やす事は覚悟しています。実際に応用できる事を企業を含めた実学の人達の前で証明して見せないと、彼らは納得してくれない事も重々承知しています。これらの問題をクリアするには、やはり彼らの中に飛び込み一緒にやって行く術しか私は知らないので、そうして行こうと思っています。個人的には、この覚悟は応用を目指す人間にとっては必要な心構えであると同時に純粋に真理を探究する人間にとっては邪魔にもなりかねないファクターだと思っています。ただ、どちらに重きを置くかは全くそれぞれの研究者の自由で、研究者が各自の重きを置く時々に応じて、彼らが自由に活動をする場があるべきだと常々感じています。

 『産業』を意識したとき、数理科学のアイディアを有体物さらには無体物としての『物』として実現する難しさに加え、その出来た『物』を産業に乗せる難しさが加わります。企業の開発の現場で、開発された『物』の中で実際に産業に乗るのは少ないものです。以前、デンソーアイセム(現、デンソーITソルーションズ)の人事の方がオバマ大統領就任時に岡大を訪問されたとき話し合った内容は、オバマ大統領が掲げたグリーン・ニューディール政策についてでした。これは同じ「自動車」をめぐり、心臓部がガソリン・エンジンから電気モーターに変わり、さらにそれに伴い、周辺の構成も変化し、この変化が自動車周辺の産業形態をがらりと変えてしまいます。つまり、衰退の可能性のある産業分野と台頭する可能性のある産業分野が出現して来ます。これに応じて、産業界の力を入れる方向性も変わって来ます。産業における物作りがこの影響をもろに受けるのは工学部(特に就職担当)の方々はよくご存知な訳で、数理科学が産業に係る時、この全く「真理の探究」とは相反する価値観に遭遇する事をも覚悟しなければなりません。この舵とりをするのが、民間企業の基礎研究のマネージメントで重要な要素である事も思い出しながら、今後の我々の連携を進めたいと思っています。

. 平成23年4月の統廃合で日立製作所の研究所は4つに集約され、基礎研究所は元々の母体の中央研究所に戻りました。今も日立製作所に残るかつての同期らとこの統廃合の意味を検証し、林原の経営破綻と照らし合わせ幾つかの反省点を自分自身の中で整理しましたが、企業の研究者と連携をする上での今後のための教訓にせねば、と思っています。大学に出てからもよく基礎研究所に戻り、鳩山にある研究所の敷地の美しさを前に新しい研究課題への思いを新たにしていました。ここで学んだ多くの事に見合った結果をいつの日かお土産にできればと思っています。